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フルタイム昇格、から回り、そして最大級の強がり

俺の名前は川内崇浩。
28歳。ついに、あの社会福祉法人に常勤採用され、
長かったフリーター生活に終止符を打った。

「俺、ついにちゃんとした社会人になったぞ!」
胸を張って、そう思えた。
あのときは、本当にうれしかった。


👛 やっと得た、社会人としての誇らしさ

毎月決まって振り込まれる月給。
念願だったボーナス。
今思えば、額は決して多くなかったけれど――

「これが一人前ってやつか」

そんなふうに思えたことが、何より誇らしかった。
やっと、みんなと肩を並べている気がした。
同じように働き、同じ目線で語れる気がした。
ほんの少し、大人の世界に仲間入りできた気がした。

……でも、今ならはっきり分かる。
それは全部、他人と比べた自分の中で感じていた誇らしさだった。


📺 ニュースで見る「フリーターの同世代」に優越感

テレビで“氷河期世代のフリーター”の特集が流れるたび、
俺はどこかで安心していた。

「まだフリーターでいる人、けっこういるんだな」
「しかも大学出てても、そうなんだ…」

内心、ほっとしてた。
正直優越感にも浸ってた。

たぶん俺の中に、ずっと学歴コンプレックスがあったんだと思う。
だから、「自分より学歴のある人が苦しんでいる」と思うと、
なぜか少しだけ、自分が救われたような気がした。


🎢 他人の評価に、一喜一憂していた

あの頃の俺は、
他人の評価こそがすべてだった。

褒められれば天に昇り、
少しでも否定されれば、心が地面にめり込むくらい凹んだ。

自分の存在価値は、誰かの口から発せられる言葉で決まる――
そんなふうに、どこかで思い込んでいた。


🚗 送迎車クラッシャー伝説

常勤になった俺がまず向き合ったのは、
法人一、運転が下手な職員としての称号。

送迎車を、3年で7回ぶつけた。
たぶん、知ってる限り法人ナンバーワン記録。

事故報告書の書き方だけは、上達した。


🎉 行事で暴走、周囲はポカーン

憧れていた行事担当も任された。
「よっしゃ、任せろ!」とばかりに気合MAX。

結果――暴走
自分ひとりで突っ走り、周囲は完全に置き去り。

何度も注意されて、そのたびに凹んで、
でもまた同じことを繰り返す。

認められたい病、深刻なステージに突入していた。


🧠 支援現場で謎理論を展開

支援でも、よく分からない“俺理論”を持ち出して空回り。

「こういう時は、“人生の方程式”があってですね…」

今思えば、
支援じゃなくて思想だった。
支援じゃなくて独演会だった。


😤 他人が妬ましい。とにかく妬ましい

「なんであいつがサビ管研修行けるんだよ」
「俺の方が仕事してるだろ」
「上司は結局、仲のいいやつしか評価しない」

口には出さないけど、ずっと心の中で毒づいていた。

認められたい。選ばれたい。上に行きたい。
でも、それが叶わないと、妬みが爆発する。


🧷 👨‍👩‍👧 でも、人生は続く

そんな俺でも結婚できて、子どもにも恵まれた。

正直、結婚してくれた妻はかなりのギャンブラーだと思う。

子育ては結構楽しかった。
幼稚園の行事にも積極的に参加したし、
子どもが風邪をひくと、妻と一緒に病院にも行った。

そして――
周囲から、変な誤解を受けることになる。

子育てにも行事にも参加し、地域の活動にも関心がある――
とても素晴らしい父親。

違う、まったく違う。そんなんじゃない。
しかしそれは、子どもが小学校に上がったとき、
とてつもなく変な方向に流れていくのだった……


🥇 後輩が先に出世…そして最大級の強がり

後から入った職員が、俺より先に昇格する。

「なんで? 年功序列じゃないの?」
「俺が先だろ!」

そう思えば思うほど、から回った。

そしてある日、こんなことを言ってしまった。

「いや〜、俺、あんまり責任あるポジションって向いてないし〜」
「代わりに研修行ってくれて助かったわ〜。たぶん順番的には俺だったし(笑)」

最大級の強がりだった。
結局、パート時代から成長していなかった。

今の俺が、あの頃の俺を見たら――
「あんなやつ、絶対上にはしたくない」って思うだろうな。


💔 結局、辞めた

空回りして、拗らせて、
自分の中の劣等感を他人にぶつけて、
結局――辞めた。


📝 あとがき:一人前って、なんだったんだろう

あの頃の私にとって、
常勤になることがゴールだった。

社会に受け入れられた気がして、
やっと“同じ土俵”に立てた気がしてた。

でもそれは全部、他人との比較でしか得られなかった誇らしさだった。

一人前って、誰かに決めてもらうものじゃない。

そう気づけるのは、もう少しあと。

ただ、あの頃の私を笑い飛ばせるようになったことは、
今の私のちょっとした誇りでもある。


🔜 次回予告

「師匠との出会いと、クセの強い福祉現場」

評価ボロボロ、転職活動は連敗続き。
やっと入れたのは、正直あまり評判のよくない社会福祉法人だった。

でも、そこで俺を待っていたのは――
困難ケースのオンパレード、クセの強い職員たち、
そして“師匠”と呼びたくなる、ひとりの上司との出会いだった。

ここから、俺の転機が始まった。

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フルタイム幻想と評価されたい病

~「認められたい」って呪文だった~

俺は川内崇浩。
福祉業界に潜り込んだ24歳、夢と焦りを抱えた生活介護事業所で働くフリーターだ。


「俺って、わりと仕事できる方だよな」

「すぐ常勤になれるっしょ?」

……なんて思ってた。いや、思い込んでた。


🔥 他者の目=自分の価値

当時の俺にとって、“評価”はすべてだった。

  • 誰かから「頑張ってるね」と言われる
  • 誰かが「君に任せたい」と言ってくれる
  • 誰かの期待に応えられる

それが、俺の存在証明だった。


😤“あいつらばっかり評価されてる”

同年代の職員がボーナスをもらったと聞けば、
心の奥がズン…と沈んだ。

会議に参加して、送迎車を運転して、担当利用者を持って――
全部が眩しく見えたし、全部が「俺にはないもの」だった。

正直、羨ましかった。嫉妬した。妬んだ。

でも、その気持ちを認めるのが怖かったから、
冗談みたいに笑ってた。

「俺、責任ある仕事とか苦手なんだよね~」
「いやー、みんな大変だなー(笑)」

口ではそう言いながら、
内心では「なんで俺じゃないんだよ」って、何百回も叫んでた。


🧱“たくさん働けば報われる”という幻想

ヘルパーの仕事もどんどん受けて、土日も稼働。
月の休みが数日ってこともあった。

「これだけやってるんだから、そろそろ俺も…」って思ってた。

でも現実は違った。
どれだけ働いても、評価は降ってこない。

後から入ってきた人は、常勤採用。
そのたびに、心がギシギシ軋んでいった。


🪞劣等感という名の鏡

劣等感って、自分のことがちゃんと見えなくなる鏡だ。

相手が実際に優れているかどうかじゃなく、
「自分の足りなさ」を勝手に映し出してくる。

だから俺は、誰かが褒められてるだけで、自分を否定された気がしてた。
誰かが常勤で入っただけで、「俺はまた選ばれなかった」って思ってた。

まるで世界中が、自分を試してくるような気がして、
疲れて、でも止まれなくて、
気づけば“認められたい病”が慢性化していた。


💔心が折れる音を聞いた日

そしてついに常勤の話がちらついた――
が、コネで入った人がいて話は流れた…。

「おお、よかったね!」
「俺?あまり責任のある仕事したくないし~(笑)」

そう言った俺は、笑顔の仮面を被っておどけていた。
しかも、その人は同じ事業所だった。だから余計に、毎日がしんどかった。

納得のいかない気持ち。やっぱりなと諦めの気持ち。
結局誰も俺のことは評価してくれない。
でも本当は俺って無能な奴なんじゃないのか――
もう永遠にパートのままなのかな……。

様々な感情が入り混じっていた。

まだチャンスはある、次があるさ。
自分に言い聞かせ、しばらく粘ってみた。

けど、さすがに無理だった。

結局、辞めた。

でも、未練タラタラだった。

みんなと一緒で、ケースを持ったり、行事を担当したり、送迎車を運転したりして、
同じ景色を見たかった。


🌙あとがき:認められたいという呪い

“認められたい”って、誰にでもある。
でもあの頃の私は他人の評価だけが「自分の価値」だと思い込んでた。

今ならわかる。
あのとき私が欲しかったのは、

「常勤になること」じゃなくて、
「自分は必要とされてる」って確かな実感だったこと。

今思えば何とも滑稽な話であるが、当時の私は大真面目にそう思っていた。

そして、その答えは外にはなかった。
……けど、それに気づくのは、もう少し先の話になる。

今夜はこの辺にしておくとしよう。


🔜次回予告

「出戻り上等!それでも俺はここで認めて貰いたい!」
今度こそ!と戻った職場、そしてようやく手にした“正規雇用”――
だが、それはまだ始まりに過ぎなかった。

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「見栄と焦りと非常勤」

私の名前は川内崇浩、毎週月曜日の更新を頑張ろうと思っている筋トレに勤しむ経営者だ。今日は昔の事でも書いてみようと思う。。。

🔙時は約四半世紀前

俺の名前は川内崇浩。24歳のフリーターだ。
正社員になりたい。でも就職活動はことごとく撃沈。
まぁ、時代は就職氷河期。しかも俺、大学中退なんだよね。

ある日、病院の清掃バイト中に、看護助手の人から言われた。

「ヘルパー2級、取ってみたら?一緒に働かない?」

バイト脱却のチャンス到来!
俺はその言葉を頼りに、ヘルパー2級の資格取得へ。

講習は思ったより簡単で、
「よし、これでバイト生活とはおさらばだ!」
そう信じて疑わなかった。


🌟「福祉の時代」到来(のはずだった)

当時、世の中では「これからは福祉の時代だ!」なんてメディアも騒いでた。
“福祉村構想”とか、夢みたいなワードも飛び交ってた頃。

「資格さえ取れば余裕っしょ」
――正直、甘く見てた。

そして、件の病院に電話をする。

「今は人手足りてるので、採用予定はありません。」

……え?
※ちなみに、同じ講習でヘルパー2級を取った人はそこに採用されていた。
その事実を、後から知ることになりショックを受ける。


🚪門前払いと現実の壁

そこから俺は、老人ホームを片っ端から受け始めた。
が、当時はこんな時代。

「未経験はお断りしています」

という門前払いが当たり前。

ならば――
障害者福祉ならどうだ?

面接に行くと、真顔で言われる。

「え?この学歴?こんなんじゃ無理でしょ。字も汚いし。最近多いんだよね、安易にヘルパー取って応募してくる人。」

心、ボロボロ。

でも、確かにその通りだった。
自分でも、どこか浅はかだったと気づいていた。大して志望動機もない。ただ安定した職業に就きたいだけ。


💡方向転換:パートから這い上がる!

考えた末、俺は方針を切り替える。

「パートから正社員を目指そう!」

やがて、ある社会福祉法人にパート採用された。
「がんばり次第で正規登用あり」とのこと。

勤務条件は、週3日・5時間。
それでも俺には、希望の扉に見えた。

そして、ここで俺は新たな病を発症する。
その名も――

「認められたい症候群」

今夜はこの辺にしておこう。また来週にでも続きを書こうと思う。ではまた会おう・・・

次回予告:
第2話「フルタイム幻想と認められたい症候群
パートから正社員に――と思ったら、そこは新たな地獄の入口!?
から回る若造・川内崇浩が、評価という名の幻を追い続ける話。

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グループホームを立ち上げるには

私の名前は川内崇浩。

忙しすぎて美容室に行けず、気づけば半年。
「ロン毛に目覚めた?」と聞かれるようになった、しがない中年社長である。


グループホーム立ち上げ、その現実

今日は、グループホームの立ち上げについて少し書いてみようと思う。


書類と物件だけでは始まらない

物件探しも重要だが、その前に立ちはだかるのが書類の壁
法人格についての詳細は以前の記事を参考にしてほしい。

🔍 暇があれば「なぜ合同会社を選んだか」についても話していこう。


市区町村の「障害福祉計画」を読め!

最近では「総量規定」により、
どこにでも自由にグループホームを建てられる時代ではなくなってきている。

まずは、地域の障害福祉計画を読むこと
多くの自治体がホームページで公開している。
読み物としても意外と面白いし、福祉政策の動向もわかる。


成功のカギはマーケティング

  • 潜在的な利用者数
  • 競合状況
  • 地域性
  • 必要とされる支援の種類

これらを元に、「どこに・何を・誰向けに」を決めていく。
規模の大きい法人なら勢いで進めることもできるが、
裸一貫で挑むなら、マーケティングの成否が“生死”を分ける。


溶けていく資金――人件費地獄の始まり

① 開業前にかかるお金

  • 開業2か月前には職員確保が必要(=2か月分の人件費)
  • 開所初月に満床でも、報酬入金は2か月後(=合計4か月分の人件費が必要)

② 採用コストも地味に痛い

  • 求人サイト利用→クリック課金(例:Indeed)
  • 信頼感アップのためにHP制作→30万円前後は見ておいた方がいいだろう

職員は「未経験+素直」が最強?

新規の会社に応募してくれる経験者は、いわゆる“訳アリ”も多い。
だから私ならこうする。

👥 社長兼サービス管理責任者兼管理者(自分)
👤 社員1名+パート数名体制でスタート。もちろんすべて未経験者だ。

スキルより人間性。
いい意味で「いい加減」な人材が、最初は宝物になる。


入居者も、勝手には来ない

「建てれば人が来る」なんて、幻想だ。

大事なのは宣伝とコンセプト
たとえば、私ならこの戦略を取る。

  • 完全個室
  • 発達障害の方が対象
  • 喫煙OK(精神障害との親和性を考慮)
  • 自立支援型+就労との連携
  • 就労援助センター等に的を絞った営業

この戦略の強みはある程度生活をコーディネートしていけばほぼ自立した生活を送れる事にある。そうなると職員の育成に時間を割くことが可能となる。未経験を雇うのもこの為だ。相乗効果が生まれ次の棟を建てる時にさらに戦略の幅が広がる。このコンセプトを貫くも良し新たなコンセプトに挑戦することも可能だ。私ならブランド力をつけていきたいのでこのコンセプトを貫く方向性で行くだろう。


収益の薄さを、どう補う?

ただし、この戦略にも欠点がある。発達障害の方は区分が軽くなりがちだ、ただでさえ自立度の高い利用者を狙う傾向にある。即ち報酬単価が低くなる
だからこそ加算が必要になる。

  • 処遇改善加算
  • 加算を取るための管理体制と書類整備も必要

📎 私は以前の会社で処遇改善加算申請を無謀にも一人でやった事がある。無事申請は通ったがかなりの手間だった事を追記しておく。


経営は、甘くない。でもやる価値はある。

マーケティング、物件、資金、人材、実績、信頼、制度……
全部の山を越えて、ようやく「スタートライン」に立てる。

それでもやる人がいる。
それは、必要とされているからだ。

誰かが、「この地域で暮らすことが出来てよかった」って言ってくれる。
その一言のために、私は今日もまた悩んで考えて動いている。


今夜はこのへんで──

ロン毛を撫でながら、もう少しだけ資料を読み返そうと思う。

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福祉の運営あれこれ②

私の名前は川内崇浩。
いつの間にやら4期目も終わりに差しかかり、ついに社員も雇えるようになった。
ようやく“新米経営者”から、“経営者”に少しずつ近づいてきた気がする中年社長だ。


■ 経営において避けて通れない「お金」の話

経営をしていると、どうしても金銭のことを考えなければならない。
月々の固定費――それだけで20~30万円は必要だ。

例えば、

  • 社会保険料
  • 家賃
  • 税理士・社労士報酬
  • 福祉ソフトの使用料
  • 車の維持費
  • 細かな備品・通信費など

この中であまり馴染みがないかもしれないのが「福祉ソフト」。
請求事務を圧倒的に軽減してくれる、相談支援事業所では“マスト”な存在だ。
これがなかったら、現場と事務の両立なんてとてもじゃないが無理だっただろう。


■ 黒字でも手元に残らない理由

決算をすれば、当然ながら税金もかかる。
法人税、住民税、事業税……名目を問わず、黒字の40%前後は持っていかれる。

そこからようやく「給料はいくら払えるか」を逆算していく。
経営者=高給取りなんて話は、少なくとも福祉業界には当てはまらない。


■ 収入の上限が決まっている業界

福祉業界では、収入の「上限」があらかじめ決まっている。
特に計画相談は顕著だ。私のように単独で運営している場合、1人あたりの年間報酬は5万〜15万円程度。
月に換算すれば、平均して6000円前後だ。

これが「計画相談だけでは食べていけない」と言われる理由だ。
100件以上の契約がなければ、安定経営にはならないが、そこに到達するまでには時間がかかる。
もちろん、契約件数の上限も存在する。


■ 報酬にはならないけれど、大切な仕事

この仕事には、「報酬にならない仕事」が数多く存在する。
いわゆるシャドーワークと呼ばれるものだ。

“親身になるほど赤字になる”――これは、現場で支援を続ける中で実際に感じることでもある。

もちろん、線引きはする。
けれど、困っている人を前にして「それは対象外です」と言い切れる人が、どれだけいるだろうか。
それこそが、この仕事の存在意義なのだと私は思っている。

実際、かつて半年ほど無報酬で関わっていた利用者さんもいた。
紆余曲折あったが、今では安定した生活を送りつつある。
その過程で築かれた信頼関係、そして地域でのネットワークは、今の私にとって何よりの財産だ。

複数の市区町村にまたがって仕事をしていると、大変なことも多い。
でもそのぶん、得るものも本当に大きい。


■ 生き残るための工夫

単独運営の場合、加算を最大限に取るだけでなく、他の収入源の確保が不可欠だ。
投資、他業種との連携、福祉外収入など、様々な角度から戦略を練る必要がある。


■ 協働という選択肢

最近は、複数の相談支援事業所が連合を組み、協働によって報酬単価を上げるというモデルもある。
実際、それで基本報酬の引き上げが可能になる仕組みもあるようだ。

だが、色々なしがらみも同時に発生するので私はやる事はないだろう・・・。

では今夜はこの辺で・・・

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福祉起業についてあれこれ

私の名は川内崇浩、三期目の決算も無事に終わり、何だかんだで黒字経営を維持できている運のよい経営者だ。

障害福祉を起業するにあたって、私がやらかしたミスを踏まえて語っていければと思う。需要があるかどうかは不明であるが・・・・。

・ミスその1 資本金

まずは福祉事業をやるにあたって必要なのは法人格。今は1円でも会社を作れる時代である。私は何を血迷ったのか資本金1万で会社を作ってしまった。

ここで何が問題なのか、二つある。

・銀行口座の開設が難しい。

・融資が受けられない。

私は運よくネット銀行と信用金庫2口座開設できたが、絶対にお勧めはできない。口座開設段階でこの事実を知って口座開設できるまで生きた心地がしなかった。

融資に関してはもともと受けるつもりはなかったのであまり関係はなかったのだが、どうやら資本金×5倍が融資の相場となるようだ。

最低でも資本金は100万円らしい。

・ミスその2 役員報酬

よくわからず設定をしてしまった。もちろん、一期目は赤字だ。まともに報酬が出せるようになるには1年近くかかった。それまでの間は報酬を一切貰わず貯金を切り崩したりして生活をしていた。だがそこが大きな落とし穴であった。

社会保険は自己資金を注入して真面目にはらっていたのだが、一期目の決算期で税理士さんからそこを指摘される。報酬が出ていないのに社会保険を払っていたからだ。すべてが払い戻しになり改めて国民年金の支払いやら国民健康保険の支払いやらでかなり大変な目にあった。税理士さんにも社労士さんにも多大な迷惑をかけてしまった。大人しく自己資金を大量に注入して役員報酬を払い会社の借金として計上して後々返していけばよかったのであるが、それをしなかったばかりに、大損をした。損失額は・・・数百万単位。

・ミスその3 定款

これもやらかした。定款に業務目的をいれるだが、正確に明記する必要性があり申請時に役所から文言が違うと指摘があった。これはきちんと法務局にいって訂正する必要があり、代行にすると10万単位でお金が飛ぶので自分でやりにいった。それでも3万円飛んだ・・・。また損失が増える。手続き自体はそう難しいものではないのでこれも悔やまれる。

・ミスその4 請求

これもかなりやらかした。請求事務は以前の会社でやっていたのでわかってはいたが、やらかした。結構取りこぼしがあると思う。計画相談の請求は若干特殊であった。請求も可能だろうが、あまりわからない時にやっていた時代の取りこぼしが多く解読に時間がかかりそうなので、授業料だと思って諦めている。いくら損したのかはわからないが、十万単位は行っていると思われる。

・幸運 その1 環境

なんにしても周りに恵まれた。それに尽きる所がある。今でも思い出したくない開業当初しばらく続いた鳴らない電話、閑古鳥の日々・・・。しかも未経験の職種、素地があったと言えども思えば思うほど無謀だ。初めに頂いた一つのご縁から広がっていき、今では神奈川ならず東京でも仕事を頂けるようになったのだが、本当に今でも巡り合ったすべての縁に感謝している。初めて振り込まれた報酬は約1万2千円だったが、それがとても嬉しかった。

・幸運 その2 施策

川崎市が神。開業したのが川崎市でなければ廃業していた可能性も大いにある。手厚い施策と親切な役所の方々。開業する前は十分な下調べが重要だ。手厚い施策に庇護されて、赤字時代を乗り切り何とか自立する事が出来た。

・幸運 その3 社長

前に働いてた会社の社長の存在。金銭的にかなり助けられた。これもなければ生活が維持できず廃業していただろう。その他にもグループホームの立ち上げを主に色々な経験をさせて頂いた。株式で働いて得られた様々な知見、交流もある。社会福祉法人では味わえないとても刺激的で有意義な日々であった。いつか恩返しをしたいと思っている。

・幸運 その4 事務員さん

その前に働いていた社会福祉法人の時の事務員さんの存在。請求の事やそれに付随する加算の事を沢山教えてくれた。当時事業所単独では一番の売り上げをあげていたと思う。色々な加算や業態の収入構造に興味を持って色々と調べて学習する事が出来た。会社が大きくなったらまた一緒に働きたいなと思う。

・結論

色々な方に助けられて、どうにかやっていけている。縁は大事だとつくづく実感する。また機会があったら今度は実際のお金の流れについて触れていきたいと思う。

では今日はこの辺で・・・

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共同生活援助の難しさ

私の名前は川内崇浩

ダイエットの為にジムに入会したが中々行けないしがない中年支援員だ。

今回は共同生活援助の難しさについて語ろうと思う。

以前株式等営利団体の参入で比較的入りやすくなった時代になったと書いたと思うが

今回はこの影の部分についても触れようと思う。

やはり、認知度、安心感から行くと社会福祉法人には大きく及ばない営利団体

入居者を募る事でも苦労が多い。

人材も社会福祉法人に流れがちだ。どこも高収入を打ち出しているものの中々集まらない現状も否定できない。

やっとの思いで入れてみたものの、様々な要因からミスマッチが生じる。

これまでの間、対応できなくなり退去にいたったケースが何件もあり、現在でも相談中の案件もある。

入居が決まってから相談支援専門員をではなく、入居前から関わらせて頂けると幸いだ。

ミスマッチを事前に防ぎ、安定した生活が送れるようにするのもまた私の使命である。

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就労Bとは?

私の名前は川内崇浩、ここのところ更新をサボりすぎてワードプレスの使い方を結構忘れてしまっているしがない中年男性だ。

今日は就労Bについて話そうと思う。

正確には就労継続支援B型といい、作業がメインの日中作業所だ。

ただ、誤解を抱かないでほしいのは雇用契約ではなく、訓練なので最低賃金は存在しない。

何かしらの作業をして得た利益を分配するシステムだ。

今までは、清掃、内職、お菓子やパン作りがメインであったが

最近はメダカの販売、パソコン関係、色々なものが存在している。

これは民間企業が参入してきて、今までにない柔軟な発想が産まれてきた事であり

嬉しい限りだ。様々な選択肢が広がったとも言える。

そして、利用することに関して区分には左右されないので

区分が上がった下がったで一喜一憂する心配もないのも魅力だろう。

就労Bからステップアップして障害者雇用などで働いているケースも私の知っている限りで複数件知っている。

実際多くの方がステップアップしていることだろう。

その一方で、就労Bで輝いてる人も沢山いる。

仕事をするということは社会に貢献することだ。

その手助けができれば嬉しく思う。

では今日はこの辺で

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障害支援区分って何?

私の名前は川内崇浩、つい最近45になったしがない中年相談員だ。

今回は障害支援区分について話そうと思う。

この障害支援区分というのは、6段階に分けられる。

単純に6なら最重度、1は最軽度と覚えていてくれればいい。

さて、この区分であるが、障害福祉サービスを使う上で密接した関係にある。

この区分により、使えるサービスとそうでないサービスがある。

例えば、生活介護は区分3以上が条件となっている。無論、例外もあるが今回は趣旨とかけ離れているので割愛させて頂こう。

逆に就労継続支援Bや、計画相談など区分によって左右されないものも存在する。

ではざっくりと区分について私が見てきた経験上こうなるラインを書いていこう。

区分1

自立しており限りなく健常者に近い。障害者雇用や一般就労している人も多い。

区分2

結構幅広く、精神障害者はこの区分に収まることが多い。目安として自分で路線など調べて目的地へ行ける。ラインやメールが出来る。着替えや整容など自力でできる

区分3

生活介護が利用できる最低区分。言語でのコミュニケーションが可能であるが、難しい内容はわからない。着替えや整容等ある程度出来る。公共交通機関を使って決まった場所にはいける。移動に関して装具などの補助具を利用している。

区分4

日常生活で何かしらの支障がある、整容やトイレ等である程度手伝いが必要。言語でのコミュニケーションが可能であるが、二語文や一語文等伝えるには工夫が必要である。粗暴行為がある。

区分5

日常生活において配慮が必要で多動や粗暴行為等支障がある。整容やトイレ等介助が必要。言語でのコミュニケーションが難しく、出来てもオウム返しや単語での返答になってくる。

区分6

身体障害があり、自力での移動が困難。食事や排泄など介助が必要となる。

また先程紹介した区分5の更に支援の手が費用な場合もそれにあたる。

ざっくりとだが、私が利用者をみてどのくらいの区分に相当するのか判断する材料だ。

区分認定にあたっては医師からの意見書であったり、認定調査員の見解も入るのでここからの変動もよくある話しだ。

適切な区分が得られて、必要なサービスが受けられるよう祈るばかりだ。

では今日はこの辺で・・・

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みなさま初めまして

私の名前は川内崇浩。

目下ダイエットに励む、40代も中ごろに差し迫った中年男性である。

支援の歴史はまだまだ浅い。

私が駆け出しの頃、今でいう生活介護は心身障碍者更生施設と言われ

生活支援員ではなく、生活指導員と言われていた。

今では考えられない事の連続であったが・・・

おっと、この話はまた今度暇があるときに話すとしよう。

色々な事が目まぐるしく変わる業界であるが、それでも障害者の権利についてはだんだんと良くなってきていると感じている。

そんな中、おむつ交換から施設の立ち上げまで、色々な事を経験させてもらった。

こういう風に話すと、オールマイティーな人間かと思われるかもしれないが

まだまだ未熟な存在、一緒に考えて、一緒に成長させて貰える貴重な機会だとも考えている。

今後、色々な事を発信して、読んでくださる方に色々な情報を発信していこうと

思っている。

では今日はこの辺で・・・