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フルタイム昇格、から回り、そして最大級の強がり

俺の名前は川内崇浩。
28歳。ついに、あの社会福祉法人に常勤採用され、
長かったフリーター生活に終止符を打った。

「俺、ついにちゃんとした社会人になったぞ!」
胸を張って、そう思えた。
あのときは、本当にうれしかった。


👛 やっと得た、社会人としての誇らしさ

毎月決まって振り込まれる月給。
念願だったボーナス。
今思えば、額は決して多くなかったけれど――

「これが一人前ってやつか」

そんなふうに思えたことが、何より誇らしかった。
やっと、みんなと肩を並べている気がした。
同じように働き、同じ目線で語れる気がした。
ほんの少し、大人の世界に仲間入りできた気がした。

……でも、今ならはっきり分かる。
それは全部、他人と比べた自分の中で感じていた誇らしさだった。


📺 ニュースで見る「フリーターの同世代」に優越感

テレビで“氷河期世代のフリーター”の特集が流れるたび、
俺はどこかで安心していた。

「まだフリーターでいる人、けっこういるんだな」
「しかも大学出てても、そうなんだ…」

内心、ほっとしてた。
正直優越感にも浸ってた。

たぶん俺の中に、ずっと学歴コンプレックスがあったんだと思う。
だから、「自分より学歴のある人が苦しんでいる」と思うと、
なぜか少しだけ、自分が救われたような気がした。


🎢 他人の評価に、一喜一憂していた

あの頃の俺は、
他人の評価こそがすべてだった。

褒められれば天に昇り、
少しでも否定されれば、心が地面にめり込むくらい凹んだ。

自分の存在価値は、誰かの口から発せられる言葉で決まる――
そんなふうに、どこかで思い込んでいた。


🚗 送迎車クラッシャー伝説

常勤になった俺がまず向き合ったのは、
法人一、運転が下手な職員としての称号。

送迎車を、3年で7回ぶつけた。
たぶん、知ってる限り法人ナンバーワン記録。

事故報告書の書き方だけは、上達した。


🎉 行事で暴走、周囲はポカーン

憧れていた行事担当も任された。
「よっしゃ、任せろ!」とばかりに気合MAX。

結果――暴走
自分ひとりで突っ走り、周囲は完全に置き去り。

何度も注意されて、そのたびに凹んで、
でもまた同じことを繰り返す。

認められたい病、深刻なステージに突入していた。


🧠 支援現場で謎理論を展開

支援でも、よく分からない“俺理論”を持ち出して空回り。

「こういう時は、“人生の方程式”があってですね…」

今思えば、
支援じゃなくて思想だった。
支援じゃなくて独演会だった。


😤 他人が妬ましい。とにかく妬ましい

「なんであいつがサビ管研修行けるんだよ」
「俺の方が仕事してるだろ」
「上司は結局、仲のいいやつしか評価しない」

口には出さないけど、ずっと心の中で毒づいていた。

認められたい。選ばれたい。上に行きたい。
でも、それが叶わないと、妬みが爆発する。


🧷 👨‍👩‍👧 でも、人生は続く

そんな俺でも結婚できて、子どもにも恵まれた。

正直、結婚してくれた妻はかなりのギャンブラーだと思う。

子育ては結構楽しかった。
幼稚園の行事にも積極的に参加したし、
子どもが風邪をひくと、妻と一緒に病院にも行った。

そして――
周囲から、変な誤解を受けることになる。

子育てにも行事にも参加し、地域の活動にも関心がある――
とても素晴らしい父親。

違う、まったく違う。そんなんじゃない。
しかしそれは、子どもが小学校に上がったとき、
とてつもなく変な方向に流れていくのだった……


🥇 後輩が先に出世…そして最大級の強がり

後から入った職員が、俺より先に昇格する。

「なんで? 年功序列じゃないの?」
「俺が先だろ!」

そう思えば思うほど、から回った。

そしてある日、こんなことを言ってしまった。

「いや〜、俺、あんまり責任あるポジションって向いてないし〜」
「代わりに研修行ってくれて助かったわ〜。たぶん順番的には俺だったし(笑)」

最大級の強がりだった。
結局、パート時代から成長していなかった。

今の俺が、あの頃の俺を見たら――
「あんなやつ、絶対上にはしたくない」って思うだろうな。


💔 結局、辞めた

空回りして、拗らせて、
自分の中の劣等感を他人にぶつけて、
結局――辞めた。


📝 あとがき:一人前って、なんだったんだろう

あの頃の私にとって、
常勤になることがゴールだった。

社会に受け入れられた気がして、
やっと“同じ土俵”に立てた気がしてた。

でもそれは全部、他人との比較でしか得られなかった誇らしさだった。

一人前って、誰かに決めてもらうものじゃない。

そう気づけるのは、もう少しあと。

ただ、あの頃の私を笑い飛ばせるようになったことは、
今の私のちょっとした誇りでもある。


🔜 次回予告

「師匠との出会いと、クセの強い福祉現場」

評価ボロボロ、転職活動は連敗続き。
やっと入れたのは、正直あまり評判のよくない社会福祉法人だった。

でも、そこで俺を待っていたのは――
困難ケースのオンパレード、クセの強い職員たち、
そして“師匠”と呼びたくなる、ひとりの上司との出会いだった。

ここから、俺の転機が始まった。

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フルタイム幻想と評価されたい病

~「認められたい」って呪文だった~

俺は川内崇浩。
福祉業界に潜り込んだ24歳、夢と焦りを抱えた生活介護事業所で働くフリーターだ。


「俺って、わりと仕事できる方だよな」

「すぐ常勤になれるっしょ?」

……なんて思ってた。いや、思い込んでた。


🔥 他者の目=自分の価値

当時の俺にとって、“評価”はすべてだった。

  • 誰かから「頑張ってるね」と言われる
  • 誰かが「君に任せたい」と言ってくれる
  • 誰かの期待に応えられる

それが、俺の存在証明だった。


😤“あいつらばっかり評価されてる”

同年代の職員がボーナスをもらったと聞けば、
心の奥がズン…と沈んだ。

会議に参加して、送迎車を運転して、担当利用者を持って――
全部が眩しく見えたし、全部が「俺にはないもの」だった。

正直、羨ましかった。嫉妬した。妬んだ。

でも、その気持ちを認めるのが怖かったから、
冗談みたいに笑ってた。

「俺、責任ある仕事とか苦手なんだよね~」
「いやー、みんな大変だなー(笑)」

口ではそう言いながら、
内心では「なんで俺じゃないんだよ」って、何百回も叫んでた。


🧱“たくさん働けば報われる”という幻想

ヘルパーの仕事もどんどん受けて、土日も稼働。
月の休みが数日ってこともあった。

「これだけやってるんだから、そろそろ俺も…」って思ってた。

でも現実は違った。
どれだけ働いても、評価は降ってこない。

後から入ってきた人は、常勤採用。
そのたびに、心がギシギシ軋んでいった。


🪞劣等感という名の鏡

劣等感って、自分のことがちゃんと見えなくなる鏡だ。

相手が実際に優れているかどうかじゃなく、
「自分の足りなさ」を勝手に映し出してくる。

だから俺は、誰かが褒められてるだけで、自分を否定された気がしてた。
誰かが常勤で入っただけで、「俺はまた選ばれなかった」って思ってた。

まるで世界中が、自分を試してくるような気がして、
疲れて、でも止まれなくて、
気づけば“認められたい病”が慢性化していた。


💔心が折れる音を聞いた日

そしてついに常勤の話がちらついた――
が、コネで入った人がいて話は流れた…。

「おお、よかったね!」
「俺?あまり責任のある仕事したくないし~(笑)」

そう言った俺は、笑顔の仮面を被っておどけていた。
しかも、その人は同じ事業所だった。だから余計に、毎日がしんどかった。

納得のいかない気持ち。やっぱりなと諦めの気持ち。
結局誰も俺のことは評価してくれない。
でも本当は俺って無能な奴なんじゃないのか――
もう永遠にパートのままなのかな……。

様々な感情が入り混じっていた。

まだチャンスはある、次があるさ。
自分に言い聞かせ、しばらく粘ってみた。

けど、さすがに無理だった。

結局、辞めた。

でも、未練タラタラだった。

みんなと一緒で、ケースを持ったり、行事を担当したり、送迎車を運転したりして、
同じ景色を見たかった。


🌙あとがき:認められたいという呪い

“認められたい”って、誰にでもある。
でもあの頃の私は他人の評価だけが「自分の価値」だと思い込んでた。

今ならわかる。
あのとき私が欲しかったのは、

「常勤になること」じゃなくて、
「自分は必要とされてる」って確かな実感だったこと。

今思えば何とも滑稽な話であるが、当時の私は大真面目にそう思っていた。

そして、その答えは外にはなかった。
……けど、それに気づくのは、もう少し先の話になる。

今夜はこの辺にしておくとしよう。


🔜次回予告

「出戻り上等!それでも俺はここで認めて貰いたい!」
今度こそ!と戻った職場、そしてようやく手にした“正規雇用”――
だが、それはまだ始まりに過ぎなかった。

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「見栄と焦りと非常勤」

私の名前は川内崇浩、毎週月曜日の更新を頑張ろうと思っている筋トレに勤しむ経営者だ。今日は昔の事でも書いてみようと思う。。。

🔙時は約四半世紀前

俺の名前は川内崇浩。24歳のフリーターだ。
正社員になりたい。でも就職活動はことごとく撃沈。
まぁ、時代は就職氷河期。しかも俺、大学中退なんだよね。

ある日、病院の清掃バイト中に、看護助手の人から言われた。

「ヘルパー2級、取ってみたら?一緒に働かない?」

バイト脱却のチャンス到来!
俺はその言葉を頼りに、ヘルパー2級の資格取得へ。

講習は思ったより簡単で、
「よし、これでバイト生活とはおさらばだ!」
そう信じて疑わなかった。


🌟「福祉の時代」到来(のはずだった)

当時、世の中では「これからは福祉の時代だ!」なんてメディアも騒いでた。
“福祉村構想”とか、夢みたいなワードも飛び交ってた頃。

「資格さえ取れば余裕っしょ」
――正直、甘く見てた。

そして、件の病院に電話をする。

「今は人手足りてるので、採用予定はありません。」

……え?
※ちなみに、同じ講習でヘルパー2級を取った人はそこに採用されていた。
その事実を、後から知ることになりショックを受ける。


🚪門前払いと現実の壁

そこから俺は、老人ホームを片っ端から受け始めた。
が、当時はこんな時代。

「未経験はお断りしています」

という門前払いが当たり前。

ならば――
障害者福祉ならどうだ?

面接に行くと、真顔で言われる。

「え?この学歴?こんなんじゃ無理でしょ。字も汚いし。最近多いんだよね、安易にヘルパー取って応募してくる人。」

心、ボロボロ。

でも、確かにその通りだった。
自分でも、どこか浅はかだったと気づいていた。大して志望動機もない。ただ安定した職業に就きたいだけ。


💡方向転換:パートから這い上がる!

考えた末、俺は方針を切り替える。

「パートから正社員を目指そう!」

やがて、ある社会福祉法人にパート採用された。
「がんばり次第で正規登用あり」とのこと。

勤務条件は、週3日・5時間。
それでも俺には、希望の扉に見えた。

そして、ここで俺は新たな病を発症する。
その名も――

「認められたい症候群」

今夜はこの辺にしておこう。また来週にでも続きを書こうと思う。ではまた会おう・・・

次回予告:
第2話「フルタイム幻想と認められたい症候群
パートから正社員に――と思ったら、そこは新たな地獄の入口!?
から回る若造・川内崇浩が、評価という名の幻を追い続ける話。

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グループホームを立ち上げるには

私の名前は川内崇浩。

忙しすぎて美容室に行けず、気づけば半年。
「ロン毛に目覚めた?」と聞かれるようになった、しがない中年社長である。


グループホーム立ち上げ、その現実

今日は、グループホームの立ち上げについて少し書いてみようと思う。


書類と物件だけでは始まらない

物件探しも重要だが、その前に立ちはだかるのが書類の壁
法人格についての詳細は以前の記事を参考にしてほしい。

🔍 暇があれば「なぜ合同会社を選んだか」についても話していこう。


市区町村の「障害福祉計画」を読め!

最近では「総量規定」により、
どこにでも自由にグループホームを建てられる時代ではなくなってきている。

まずは、地域の障害福祉計画を読むこと
多くの自治体がホームページで公開している。
読み物としても意外と面白いし、福祉政策の動向もわかる。


成功のカギはマーケティング

  • 潜在的な利用者数
  • 競合状況
  • 地域性
  • 必要とされる支援の種類

これらを元に、「どこに・何を・誰向けに」を決めていく。
規模の大きい法人なら勢いで進めることもできるが、
裸一貫で挑むなら、マーケティングの成否が“生死”を分ける。


溶けていく資金――人件費地獄の始まり

① 開業前にかかるお金

  • 開業2か月前には職員確保が必要(=2か月分の人件費)
  • 開所初月に満床でも、報酬入金は2か月後(=合計4か月分の人件費が必要)

② 採用コストも地味に痛い

  • 求人サイト利用→クリック課金(例:Indeed)
  • 信頼感アップのためにHP制作→30万円前後は見ておいた方がいいだろう

職員は「未経験+素直」が最強?

新規の会社に応募してくれる経験者は、いわゆる“訳アリ”も多い。
だから私ならこうする。

👥 社長兼サービス管理責任者兼管理者(自分)
👤 社員1名+パート数名体制でスタート。もちろんすべて未経験者だ。

スキルより人間性。
いい意味で「いい加減」な人材が、最初は宝物になる。


入居者も、勝手には来ない

「建てれば人が来る」なんて、幻想だ。

大事なのは宣伝とコンセプト
たとえば、私ならこの戦略を取る。

  • 完全個室
  • 発達障害の方が対象
  • 喫煙OK(精神障害との親和性を考慮)
  • 自立支援型+就労との連携
  • 就労援助センター等に的を絞った営業

この戦略の強みはある程度生活をコーディネートしていけばほぼ自立した生活を送れる事にある。そうなると職員の育成に時間を割くことが可能となる。未経験を雇うのもこの為だ。相乗効果が生まれ次の棟を建てる時にさらに戦略の幅が広がる。このコンセプトを貫くも良し新たなコンセプトに挑戦することも可能だ。私ならブランド力をつけていきたいのでこのコンセプトを貫く方向性で行くだろう。


収益の薄さを、どう補う?

ただし、この戦略にも欠点がある。発達障害の方は区分が軽くなりがちだ、ただでさえ自立度の高い利用者を狙う傾向にある。即ち報酬単価が低くなる
だからこそ加算が必要になる。

  • 処遇改善加算
  • 加算を取るための管理体制と書類整備も必要

📎 私は以前の会社で処遇改善加算申請を無謀にも一人でやった事がある。無事申請は通ったがかなりの手間だった事を追記しておく。


経営は、甘くない。でもやる価値はある。

マーケティング、物件、資金、人材、実績、信頼、制度……
全部の山を越えて、ようやく「スタートライン」に立てる。

それでもやる人がいる。
それは、必要とされているからだ。

誰かが、「この地域で暮らすことが出来てよかった」って言ってくれる。
その一言のために、私は今日もまた悩んで考えて動いている。


今夜はこのへんで──

ロン毛を撫でながら、もう少しだけ資料を読み返そうと思う。