私の名前は川内崇浩。
気がつけば、それなりに長く障害福祉の世界で働いている中年経営者だ。
障害者福祉を巡る制度は、これまで色々と変わってきた。
措置制度。
支援費制度。
障害者自立支援法。
そして現在の障害者総合支援法。
制度が変われば、サービスの名前も変わる。
考え方も変わる。
かなり初期のブログにも書いたが、
私がこの業界に入った頃、働いていたのは今でいう生活介護ではなかった。
「心身障害者更生施設」
だった。
そして私の職種も、
「生活支援員」
ではない。
「生活指導員」
だった。
今聞くと、なかなか時代を感じる名前である。
今回は、
そんな頃の障害福祉について思い出してみたい。
「できるようにする」が強かった時代
あくまで私が働いていた現場での体感だが、
当時は今ほど、
「環境をどう変えるか」
という発想は強くなかったように思う。
本人に何かできないことがある。
何か課題がある。
そうすると、
本人。
家庭。
施設。
この三者の中で、
「どうしたら本人ができるようになるのか」
を考える。
そんな支援が多かった。
施設と家庭がタッグを組んで、
本人のできないことを伸ばしていく。
そんな雰囲気だったと思う。
なぜそうするのか。
本人が将来困らないためである。
できることは増やした方がいい。
社会へ出た時に困らないようにした方がいい。
本人が一人でもできるようにした方がいい。
根底にあったのは、
多分そんな考え方だった。
「もっと怒らなきゃダメだよ」
だから当時は、
怒ることも支援技術の一つ
と考えられていたように思う。
私自身、
先輩職員から言われたことがある。
「川内さんは優しすぎるよ」
「もっと怒らなきゃダメだよ」
今の感覚で聞けば、
なかなか強烈な言葉である。
しかし当時の私は、
それを特別おかしな言葉だとは思わなかった。
周りの職員も、
本人を困らせようと思って怒っていたわけではない。
むしろ逆だった。
今きちんとできるようにしておかないと、将来この人が困る。
だから教える。
できそうなことなら、自分でやってもらう。
時には厳しく伝える。
それが本人のためだと考えていた。
そこには、
当時なりの善意があったのだと思う。
「甘えになってしまうから」
今でも時々、
「そこまでやったら甘えになってしまうから」
という言葉を聞くことがある。
そんな時、
私は少し懐かしい気持ちになる。
懐かしい風が吹いてきた。
そんな感じである。
特にまだ経験の浅い職員が、
「本人のためには、できることは自分でやってもらった方がいい」
と一生懸命話していることがある。
気持ちはよく分かる。
私もそこを通ってきた。
だから、
「違う!」
と簡単に否定する気にもならない。
きっと色々な利用者さんと出会って、
色々な失敗をして、
色々な支援者と話をして、
少しずつ考え方も変わっていく。
そうやって成長していくのだと思う。
今は「本人を変える」だけではなくなった
現在は、
本人に何か難しいことがあった時、
「本人ができるようになるにはどうするか」
だけでは考えなくなった。
周りの伝え方を変えてみる。
道具を使ってみる。
役割を変えてみる。
サービスを使ってみる。
本人が困らない方法そのものを考えてみる。
本人だけではなく、
本人を取り巻く側も変わる。
そんな考え方が、昔よりずっと強くなったように思う。
これは大きな変化だと思う。
ただ、
だからといって、
「昔の福祉は間違っていた」
と私は言いたくない。
あの時代には、あの時代の福祉があった
今から見れば、
「それはちょっと違うんじゃないか」
と思う支援もあった。
私自身、
今なら絶対にやらないこともあると思う。
でも、
当時働いていた職員たちの多くは、
本人を苦しめようと思ってやっていたわけではない。
本人が将来困らないように。
少しでもできることが増えるように。
少しでも社会の中で生きやすくなるように。
そう考えていた。
もちろん、
それですべてが許されるという話ではない。
ただ、
今の価値観だけを持って過去へ行き、
「あの時代の支援は間違っていた」
と断罪するのも、
私は少し違うように思う。
施設と家族の距離も近かった
そして、
昔は今より施設と保護者の距離も近かったように思う。
良くも悪くもである。
施設と家庭が一緒になって本人のことを考える。
時には意見がぶつかる。
時には一緒に悩む。
行事もたくさんあった。
職員も今とは違う距離感で利用者さんや家族と付き合っていた。
今なら、
「それはちょっと距離が近すぎるのでは」
となることもあったかもしれない。
でも、
楽しいこともたくさんあった。
良いこともあった。
悪いこともあった。
全部ひっくるめて、
あの頃の福祉だった。
今の福祉の方が良くなったところは、たくさんある。
本人の意思。
選択。
権利。
環境への働きかけ。
昔より大切にされるようになったものは多い。
それは、とても良いことだと思う。
でも時々、
昔の職員たちのことを思い出す。
不器用だったかもしれない。
今なら通用しない支援もあったかもしれない。
それでも、
利用者さんの将来を本気で心配していた人たちがいた。
だから私は、
昔の福祉を美化するつもりもないし、
断罪するつもりもない。
ただ、
あの時代には、あの時代なりの福祉があった。
そう思っている。
私にとっては、
良いことも悪いことも含めて、
少し懐かしい時代である。
では今夜はこの辺で……。
追記;
今の尺度を使えば、
昔の支援について色々と言うことはできる。
でも私は、
今の尺度だけで当時を断罪する気にはなれない。
当時の職員も、
当時持っていた知識と制度と社会の中で、
本人の将来を一生懸命考えていた。
そして、
これは昔だけの話でもないと思う。
今、私たちが、
「これが本人中心の支援だ」
「これが良い支援だ」
と思ってやっていることも、
20年後の福祉職から見れば、
「昔はそんなことをしていたんですね」
と言われるのかもしれない。
多分、福祉とはそうやって少しずつ変わっていくものなのだと思う。
だから、
昔を笑うより、
昔の人たちが何を考えていたのかを知る方が、
私は面白い。
